第177国会 参議院行政監視委員会 議事録抜粋 京都大学 小出裕章 平成23年05月23日2011-05-23

http://ldnews2000.web.fc2.com/pdf/20110523.pdf

○参考人(小出裕章君) では、始めさせていただきます。(資料映写)
 私の今日の資料はこちらに見ていただきながら話を進めたいと思いますし、皆
さんお手元に資料が既に配られていると思いますので、それを御覧いただきなが
ら聞いてください。
 今日は、原子力をこれまで進めてきた行政に対して一言私は申したいことがあ
るということでここに伺っています。
 まず、私自身は原子力に夢を抱いて原子核工学科というところに入った人間で
す。なぜそんなことになったかというと、原子力こそ未来のエネルギー源だと思
ったからです。無尽蔵にあると、石油や石炭は枯渇してしまうから将来は原子力
だということを信じてこの場に足を踏み入れた人間です。ただし、入ってみて調
べてみたところ、原子力というのは大変貧弱な資源だということに気が付きまし
た。
 今、これからこのスライドに再生不能エネルギー資源というものの量を順番に
かいていこうと思います。
 まず、一番多い資源は石炭です。大変膨大に地球上にあるということが分かっ
ています。ただし、今かいた四角は究極埋蔵量です。実際に経済的に掘れると分
かっているのは確認埋蔵量と言われているものなわけですが、この青い部分だけ
だということになっています。
 では、この四角が一体どのくらいのことを意味しているかというと、右の上に
今ちいちゃな四角をかきましたが、これは世界が一年ごとに使っているエネルギ
ーの総量です。ということは、石油の現在の確認埋蔵量だけでいっても数十、数
字で書きますとこんなことになりますが、六十年、七十年はあるし、究極埋蔵量
が全て使えるとすれば八百年近くはあるというほど石炭はたくさんあるというこ
とが分かっています。その次に、天然ガスもあることが分かっている。石油もあ
る。そして、オイルシェール、タールサンドと言っている現在は余り使っていな
い資源もあるということが既に分かっているわけです。
 そして、私自身は、こういう化石燃料と呼ばれているものがいずれ枯渇してし
まうから原子力だと思ったわけですが、原子力の資源であるウランは実はこれし
かないのです。石油に比べても数分の一、石炭に比べれば数十分の一しかないと
いう大変貧弱な資源であったわけです。ただ、私がこれを言うと、原子力を進め
てきた行政サイドの方々は、いや、それはちょっと違うんだと。そこに書いたの
は核分裂性のウランの資源量だけを書いたろうと。実は、自分たちが原子力で使
おうと思っているのは核分裂性のウランではなくてプルトニウムなんだと言うわ
けです。つまり、非核分裂性のウランをプルトニウムに変換して使うからエネル
ギーとして意味があることになるということを言っているわけです。
 どういうことかというと、こういうことです。まず、ウランを掘ってくるとい
うことはどんな意味でも必要です。それを濃縮とか加工という作業を行って原子
力発電所で燃やすと、これが現在やっていることなわけです。しかし、これを幾
らやったところで、今聞いていただいたように原子力はエネルギー資源にならな
いのです。そこで、原子力を推進している人たちは、実はこんなことではないと
言っているわけですね。ウランはもちろん掘ってくるわけですけれども、あると
ころからプルトニウムというものにして、高速増殖炉という特殊な原子炉を造っ
てプルトニウムをどんどん増殖していくと。それを再処理とかしながら、ぐるぐ
る核燃料サイクルで回しながらエネルギー源にするんだと言ったわけですね。最
後は高レベル放射性廃物という大変厄介なごみが出てきますので、それをいつか
処分しなければいけないという仕事を描いたわけです。
 ただ、プルトニウムという物質は地球上には一滴もありませんので、仕方ない
ので現在の原子力発電所から出てくるプルトニウムというのを再処理して、高速
増殖炉を中心とする核燃料サイクルに引き渡すという、こういう構想を練ったわ
けです。
 しかし、この構想の一番中心は高速増殖炉にあるわけですが、この高速増殖炉
は実はできないのです。日本の高速増殖炉計画がどのように計画されて破綻して
いったかということを今からこの図に示そうと思います。
 横軸は一九六〇から二〇一〇まで書いてありますが、西暦です。何をこれから
かくかというと、原子力開発利用長期計画というものができた年度を横軸にしよ
うと思います。縦軸の方は一九八〇から二〇六〇まで数字が書いてありますが、
これはそれぞれの原子力開発利用長期計画で高速増殖炉がいつ実用化できるかと
いうふうに考えたかというその見通しの年度を書きます。
 原子力開発利用長期計画で一番初めに高速増殖炉に触れられたのは、第三回の
長期計画、一九六八年でした。そのときの長期計画では、高速増殖炉は一九八〇
年代の前半に実用化すると書いてあります。ところが、しばらくしましたら、そ
れは難しいということになりまして、次の原子力開発利用長期計画では、一九九
〇年前後にならないと実用化できないというふうに書き換えました。それもまた
できなくて、五年たって改定されたときには、高速増殖炉は二〇〇〇年前後に実
用化すると書き換えたわけです。ところが、これもできませんでした。次の改定
では、二〇一〇年に実用化すると書きました。これもできませんでした。次は、
二〇二〇年代に、もう実用化ではありません、技術体系を確立したいというよう
な目標に変わりました。ところが、これもできませんでした。次には、二〇三〇
年に技術体系を確立したいということになった。では、次の長期計画ではどうな
ったかというと、実は二〇〇〇年に長期計画の改定があったのですが、とうとう
このときには年度を示すこともできなくなりました。私は、仕方がないので、こ
こにバッテンを付けました。そしてまた五年後に長期計画が改定されまして、今
度は原子力政策大綱というような大仰な名前に改定されましたが、その改定では
二〇五〇年に一基目の高速増殖炉をとにかく造りたいという計画になってきたわ
けです。
 皆さん、この図をどのように御覧になるでしょうか。私は、ここに一本の線を
引きました。どんどんどんどん目標が逃げていくということを分かっていただけ
ると思います。これ、横軸も縦軸も一升が十年で、この線は何を示しているかと
いうと、十年たつと目標が二十年先に逃げるということなのです。十年たって目
標が十年先に逃げたら絶対にたどり着けません。それ以上にひどくて十年たつと
二十年先に目標が逃げているわけですから、永遠にこんなものにはたどり着けな
いということを分からなければいけないと私は思います。
 ところが、こういう長期計画を作ってきた原子力委員会というところ、あるい
はそれを支えてきた行政は一切責任を取らないということで今日まで来ているわ
けです。
 日本は「もんじゅ」という高速増殖炉の原型炉だけでも既に一兆円以上の金を
捨ててしまいました。現在の裁判制度でいうと、一億円の詐欺をすると一年実刑
になるんだそうです。では、一兆円の詐欺をしたら何年の実刑を食らわなければ
いけないんでしょうか。一万年です。原子力委員会、原子力安全委員会、あるい
は経産省、通産省等々、行政にかかわった人の中で「もんじゅ」に責任のある人
は一体何人いるのか私はよく知りません。でも、仮に百人だとすれば、一人一人、
百年間実刑を処さなければいけないという、それほどのことをやってきて結局誰
もいまだに何の責任も取らないままいるという、そういうことになっているわけ
です。原子力の場というのは大変異常な世界だと私には思えます。
 次は、今、現在進行中の福島の事故のことを一言申し上げます。
 皆さんは御存じだろうと思いますけれども、原子力発電というのは大変膨大な
放射能を取り扱うという、そういう技術です。今ここに真っ白なスライドがあり
ますが、左の下の方に今私は小さい四角をかこうと思います。──かきました。
これは何かというと、広島の原爆が爆発したときに燃えたウランの量です。八百
グラムです。皆さんどなたでも手で持てるという、そのぐらいのウランが燃えて
広島の町が壊滅したわけです。
 では、原子力発電、この電気も原子力発電所から来ているわけですけれども、
これをやるために一体どのくらいのウランを燃やすかというと、一つの原子力発
電所が一年動くたびに一トンのウランを燃やす、それほどのことをやっているわ
けです。つまり、それだけの核分裂生成物という放射性物質をつくり出しながら
やっているということになります。
 原発は機械です。機械が時々故障を起こしたり事故を起こしたりするというの
は当たり前のことです。原発を動かしているのは人間です。人間は神ではありま
せん。時に誤りを犯す、当たり前のことなわけです。私たちがどんなに事故が起
きてほしくないと願ったところで、破局的事故の可能性は常に残ります。いつか
起きるかもしれないということになっているわけです。そこで、では原子力を推
進する人たちがどういう対策を取ったかというと、破局的事故はめったに起きな
い、そんなものを想定することはおかしいと、だから想定不適当という烙印を押
して無視してしまうということにしたわけです。
 どうやって破局的事故が起きないかというと、これは中部電力のホームページ
から取ってきた説明の図ですけれども、たくさんの壁があると、放射能を外部に
漏らさないための壁があると言っているのですが、このうちで特に重要なのは、
第四の壁というところに書いてある原子炉格納容器というものです。巨大な鋼鉄
製の容器ですけれども、これがいついかなるときでも放射能を閉じ込めるという、
そういう考え方にしたわけです。
 原子炉立地審査指針というものがあって、その指針に基づいて重大事故、仮想
事故という、まあかなり厳しい事故を考えていると彼らは言うわけですけれども、
そういう事故では格納容器という放射能を閉じ込める最後の防壁は絶対に壊れな
いという、そういう仮定になってしまっているのです。絶対に壊れないなら放射
能は出るはずがないということになってしまいますので、原子力発電所はいつい
かなる場合も安全だと。放射能が漏れてくるような事故を考えるのは想定不適当、
そして想定不適当事故という烙印を押して無視するということにしたわけです。
 ところが、実際に破局的事故は起きて、今現在進行中です。大変な悲惨なこと
が今福島を中心に起きているということは、多分皆さんも御承知いただいている
ことだろうと思います。ただ、その現在進行中の事故にどうやって行政が向き合
ってきているかということについても、大変不適切な対応が私はたくさんあった
と思います。
 防災というものの原則は、危険を大きめに評価してあらかじめ対策を取って住
民を守ると。もし危険を過大に評価していたのだとすれば、これは過大だった、
でも住民に被害を与えないでよかったと胸をなで下ろすという、それが防災の原
則だと思いますが、実は日本の政府がやってきたことは、一貫して事故を過小評
価して楽観的な見通しで行動してきました。国際事故評価尺度で当初レベル4だ
とかというようなことを言って、ずっとその評価を変えない。レベル5と言った
ことはありましたけれども、最後の最後になってレベル7だと。もう余りにも遅
い対応の仕方をする。
 それから、避難区域に関しても、一番初めは三キロメートルの住民を避難指示
出す。これは万一のことを考えての指示ですと言ったのです。しかし、しばらく
したら今度十キロメートルの人たちに避難指示を出しました。そのときも、これ
は万一のことを考えての処置ですと言ったのです。ところが、それからしばらく
したら二十キロメートルの人たちに避難の指示を出す。そのときも、これは万一
のことを考えての指示ですというようなことを言いながら、どんどんどんどん後
手後手に対策がなっていったという経過をたどりました。
 私は、パニックを避ける唯一の手段というのは正確な情報を常に公開するとい
う態度だろうと思います。そうして初めて行政や国が住民から信頼を受ける、そ
してパニックを回避するのだと私は思ってきたのですが、残念ながら日本の行政
はそうではありませんでした。常に情報を隠して、危機的な状況でないというこ
とを常に言いたがるということでした。SPEEDIという百億円以上のお金を
掛けて、二十五年も掛けて築き上げてきた事故時の計算コード、それすらも隠し
てしまって住民には知らせないというようなことをやったわけです。
 それから、現在まだ続いていますが、誰の責任かを明確にしないまま労働者や
住民に犠牲を強制しています。福島の原発で働く労働者の被曝の限度量を引き上
げてしまったり、あるいは、住民に対して強制避難をさせるときの基準を現在の
立法府が決めた基準とは全く違ってまた引き上げてしまうというようなことをや
ろうとしている。本当にこんなことをやっていていいのだろうかと私は思います。
 現在進行中の福島の原発事故の本当の被害って一体どれだけになるんだろうか
と、私は考えてしまうと途方に暮れます。失われる土地というのは、もし現在の
日本の法律を厳密に適用するなら、福島県全域と言ってもいいくらいの広大な土
地を放棄しなければならなくなると思います。それを避けようとすれば、住民の
被曝限度を引き上げるしかなくなりますけれども、そうすれば、住民たちは被曝
を強制させるということになります。
 一次産業は、多分これから物すごい苦難に陥るだろうと思います。農業、漁業
を中心として商品が売れないということになるだろうと思います。そして、住民
たちはふるさとを追われて生活が崩壊していくということになるはずだと私は思
っています。
 東京電力に賠償をきちっとさせるというような話もありますけれども、東京電
力が幾ら賠償したところで足りないのです。何度倒産しても多分足りないだろう
と思います。日本国が倒産しても多分あがない切れないほどの被害が私は出るの
だろうと思っています、本当に賠償するならということです。
 最後になりますが、ガンジーが七つの社会的罪ということを言っていて、彼の
お墓にこれが碑文で残っているのだそうです。一番初めは、理念なき政治です。
この場にお集まりの方々は政治に携わっている方ですので、十分にこの言葉をか
みしめていただきたいと思います。そのほかたくさん、労働なき富、良心なき快
楽、人格なき知識、道徳なき商業と、これは多分、東京電力を始めとする電力会
社に私は当てはまると思います。そして、人間性なき科学と、これは私も含めた
いわゆるアカデミズムの世界がこれまで原子力に丸ごと加担してきたということ
を私はこれで問いたいと思います。最後は献身なき崇拝と、宗教をお持ちの方は
この言葉もかみしめていただきたいと思います。
 終わりにします。ありがとうございました。

第177国会 参議院行政監視委員会 議事録抜粋 後藤政志 平成23年05月23日2011-05-23

http://ldnews2000.web.fc2.com/pdf/20110523.pdf

○参考人(後藤政志君) 後藤でございます。よろしくお願いいたします。
 私は、一九八九年からなんですが、十数年にわたって東芝で原子力プラント、
特に原子炉格納容器の設計に携わってまいりました。原子炉格納容器と申します
のは、放射性物質を外に出さない、事故のときに閉じ込めるという容器でござい
ます。その設計を担当しておりました。その立場から、原子力事故、今回の事故
及び原子力事故というのはどういうものであるかということを若干お話をさせて
いただきます。(資料映写)
 原子力安全のシステムを考えますと、福島第一原発に限らないんですけれども、
よく言われますように、原子炉を止める、止めるというのは核反応を止めるとい
う意味です。制御棒というのがありまして、それが燃料棒の間に入りますと核反
応は一旦止まります。しかし、今回止まったわけです、福島の第一、一号から三
号全部ですね。ですけど、これが実は止まったというのは運がいいという面があ
るんです。既に何回も制御棒の事故を起こしている。地震で制御棒が必ず入ると
は断言できなかったんです。今回は良かったということなんです。
 それは、福島第一原発の三号とか志賀一号で臨界事故というのを起こしていま
す。ちょっと先へ回しますと、次のページにリストがあるんですけど、十数件に
わたって制御棒が脱落あるいは誤挿入、つまり制御棒をコントロールを失った事
故があって、しかもそれは二十年以上にわたって隠されていたんです。そのうち
二件は臨界に達している。臨界というのは、予期せずに核反応が進むわけです、
原子炉の中で。これはとんでもない話なんですね。
 私は、原子力の仕事に携わったときに、制御棒だけは絶対事故を起こさないと
いうふうに確信、確信というより周りからそう言われていましたし設計者もそう
言っていましたから、これだけはないだろうと思っていたんですね。ところが、
二〇〇〇年代になったらこれだけ分かってきたわけです。この段階で私は、格納
容器の問題もありましたけど、制御棒でこれだけの事故を起こすということは、
これは原子力成立しない、技術的にというふうに思いました。
 さて、次ですが、今回は制御棒はうまく入ったわけです。で、冷やす、閉じ込
めるということになりますが、冷やすという意味は、原子炉を止めましてもその
後、崩壊熱と申しまして、ずっと長期にわたって、一年オーダーにわたって冷や
し続けないと燃料が溶けてしまいます。今回は冷やそうとしたんですけど、地震
で電源が来なくなって、津波あるいはそのほかの原因もあると思いますけれども、
機器類、ポンプ類が動かなくなった。それで、特に水没したものもございますか
ら、それによって多重、つまりいっぱい付けてある機械類が、全部ポンプ類が動
かなくなって冷却ができなくなった、こういうことになります。
 それで、炉心、つまり燃料がだんだん水面に出てきて溶けてくるわけですね、
中から熱が物すごく出てますので。その熱で水蒸気と反応して、被覆管というん
ですけれども管があって、そこから水素が出て、今回爆発等も起こりました。こ
の事故の経緯で、最近メルトダウンとかいう話、初めて出しましたけど、これは
もう十一日か十二日の段階、三月の十二日の段階で炉心の損傷、炉心の冷却がで
きなくなっていて格納容器の圧力も相当に上がっている、この段階でほぼもうこ
ういう道に行くのは間違いないという形だったわけですね。
 炉心、つまり圧力容器も壊れ、非常に不安定な状態で、それでもずっと何とか
必死で作業を通じて冷却を維持してきた。今でも不安定なんです。原子力プラン
トの中のシステムで冷やしているわけじゃないんです。外から付け足して、一部
回復した部分ございますけど、基本的には、装置が駄目になったので外から人海
戦術で何とか維持してきてここに来ていると、そういう不安定な状態だというこ
とです。しかも、閉じ込め機能も失っています。
 これを設計の方から申しますと、こういうふうに、大きく見まして、設計の想
定の範囲とそれから制御不能な範囲というふうに考えますと、通常状態とか過渡
状態とか事故と書いていますけど、要は、そのある事故ですね、冷却材喪失事故
というのは、水が出ちゃうとかそれから電源がなくなるとか、そういうことも原
子力プラントは当然考えているんです。そこでこういうふうに設計しているんで
すが、今回のように、止める、冷やす、閉じ込めるという機能を、地震、津波、
そのほかの、多分これは機器の故障、それから人為的なミスも絡むと思います、
それでここに書いたのは、シビアアクシデントといういわゆる制御不能な状態に
なる、これが今回の事故なんですね。こうなりますと、水素爆発とか水蒸気爆発
とか再臨界とか、非常に危機的な問題を生みます。
 図で御説明申し上げますと、炉心が溶けて落ちますと、それが圧力容器、厚さ
十数センチの厚い容器の中に落ちます。ここで冷却ができなければそのまま溶け
て下に落ちます。更にここで冷却できないと、そのままコンクリートを侵食して
どこまでも行く、これをブラックジョークですけどチャイナ・シンドロームとい
っておりますね。この段階で冷却をするために水を入れます。水を入れますと、
溶融物、非常に高温の溶融物に水が接触すると水蒸気爆発の危険性が極めて高い
んです。これは火山においてマグマが水と接触したときの爆発です。こういう現
象を起こします。更に冷却をしていきますと、その段階で冷却がうまくいけばい
いんですけど、ここにありますように流れていきますと、格納容器の鋼板、鉄板
ですね、大体厚さ二、三十ミリなんですが、それを溶かしてしまいます。そうい
う壊れ方もあると。これは事故ですから、どのプロセスへ行くかはその経過によ
って変わります、当然。ですけど、どれを行ってもおかしくなかった。
 今回は、ここの、少なくとも水蒸気爆発ですね、これは起こっていない、水素
爆発は起こりました。何かといいますと、中の水素が格納容器のあるところから
出まして、上で爆発したんです。これがもし格納容器の中で爆発現象を起こして
いて、そのまま格納容器が破壊していたときには、今の桁違いの被害になります。
今回は、格納容器はまだ、一部損傷していますけど、爆発的に全部出たんではな
いんですね。爆発は建物の、つまり格納容器の上で爆発して、一部出ていた放射
能が飛んだだけ、そういう関係になります。
 原子力技術の特徴について申し上げます。
 私の理解では、非常に技術が細分化している、これは全般の原子力に限らない
面もあるんですけれども、特に原子力においては、全体像が把握しにくい、技術
者はなかなか周囲の仕事を知らない形になってしまう。そうしますと、設計の段
階での監理、設計の、どういうふうに変更するかとか、設計したものがこれでい
いのかという、デザインレビューとかいうんですけど、いろんな分野の人間が集
まってそれを審査したりする。そういうことをやってきているんですけど、どう
しても技術というのは、非常に危機感を持って、例えば事故が起こるとか安全は
どうだということを考えながらデザインレビューしていれば意味がありますけれ
ども、こんな事故は起こるはずないと思ったデザインレビューというものは形骸
化します、形式的にやるだけなんです。私の経験している中でも最初のころはか
なりデザインレビューがしっかりしていた、それから五年、十年たつに従って非
常に形骸化していった、そういうふうに思います。これは安全審査についても言
えます。そういう形で、どうも見ていますと、技術の分かる専門技術者が本当に
いるのか、審査にという印象を受けます。
 それからさらに、事故が多発しているということです。これは軽水炉、つまり
今回の福島の事故に限らない。軽水炉と申しますのは沸騰水型と加圧水型の二種
類ございますけれども、今日本で使われている通常の発電所の原子炉で、今回の
事故だけではなくていろんなところで事故が多発している。
 細かいことは省略しますけど、同じく高速増殖炉「もんじゅ」も実用化してい
ないどころかトラブルの連続。一部燃料棒を交換するために、燃料を交換するた
めに入れた装置が、機械がちょっと引っかかっちゃった、それで落っこっちゃっ
たんですね。ちょっと傷ついたわけです。それを持ち上げようと思ったら、引っ
かかって上がらない。普通、機械ではよくあることです、そんなものは。一週間
もありゃ直ります。ですけど、それはナトリウムがあるから見えない。出そうと
思うと、燃料を出せばいいんですけど、燃料はナトリウムの中にないと危ないの
で、そうすると、それを出すための装置が壊れている、何もできないという状態
が半年、一年続くんです。こんなのは技術じゃないんですね。設計の立場からい
ったら、何を考えているのか。そんなこと、一つのものが壊れて何もできないの
は技術じゃありません。設計の立場からそういうふうに見えますということなん
ですね。
 それからもう一つは、やはり安全設計と被曝労働、これは問題がある。被曝を
前提にした安全設計というのは私は非人間的だと思います。五分で行ってきて入
ってやるわけですね。そのときに、仮にそれが、そういうやり方がいいとしても、
難しいのはコントロールができないんですよ。確実に被曝をあるオーダーに抑え
るなんて、そんなことは私は信じられません、人間というのはどうしてもミスも
ありますし。そういうことを考えますと、これはとても私は人間的な労働だとは
思えません。
 それから、処分ができない大量の放射性物質、これもよくトイレなきマンショ
ンと言われています。
 さて、現在の事故をどう見るかといいますと、炉心を冷却、続けています。確
かに現在、全体の温度は百何度とか百数十度オーダーまで落ちてきています。で
すけど、まだ依然として、もし冷やすことをやめればそのまま進むわけですね、
事故は。そういう関係になっている。
 しかも、溶けた溶融物が、メルトダウンしたと言いましたね、そうしますと、
圧力容器の中にあるのか格納容器の中にあるのかすらはっきりしない。全く中は
分かっていないんです。ただし、水を入れたら、何か冷えているらしい。つまり、
技術的に見ますと、ちゃんとした、分かってコントロールできているわけじゃな
いんです。そうであろうといった推測でやっている。これは、最初のメルトダウ
ンと言ったのがよく分かりますよね。最初に全く、炉心、一部燃料損傷と言って
いたのがメルトダウンだった。これだけ違うわけですから、今の状態に対してど
れだけ責任を負えるんですか。中を見れるんですか。圧力温度は正しいんですか。
どれ一つ私は疑ってみざるを得ないという状態にあるわけですね。
 もちろん、今の状態が以前よりは少し楽になってきているのは明らかです。で
すけど、事故というのはそういうところから、思わぬところから発展して大きな
事故になるわけです。そうしますと、これからもずっと安定させてやることがい
かに難しいかということを言っているわけです。
 あと、同時に、一号機、二号機、三号機とも格納容器が損傷しています。格納
容器が損傷していることは、そのまま放射能が外に出ているということです。外
に出ています既にたまった十万トンに近い放射性物質を帯びた水が海や地下水に
漏れ続けているんです。これは今、大量に、めちゃくちゃに漏れているとは申し
ません、もちろんコンクリがありますからね。ですけど、容器じゃないんです。
格納容器のように閉じ込め機能を持っていないんです。ですから、コンクリート
が割れたらそこから行きますし、土のところから行く、流れていくわけです。そ
うすると、現在は大なり小なり放射性物質を垂れ流している状態が続いていると、
そういう認識です。それは、何とか早く既存の陸上タンクなり、メガフロートか
バージでもいいです、格納機能を持ったところに入れる方が先決だと思います。
その上で処理をすべきと思います。
 原子力の技術について考えますと、どれも究極の選択になっている。先ほど申
しましたように、冷却しようとする。冷却に失敗すると、失敗するといいますか、
水を入れると水蒸気爆発を起こす。あるいは、格納容器がそうなんですが、今回、
格納容器の圧力が上がり過ぎたのでベントすると。どういうことかと申しますと、
格納容器は放射能を閉じ込めるための容器ですから、それをベントするという意
味は、放射能をまき散らすということを意味しているんです。つまり、このまま
ほうっておくと格納容器が爆発しちゃう、最悪だと。だけど、漏らすということ
は、逆に放射能を出すんですよ、そのまま。人に向けて放射能を出しているんで
すよ、これは。何でその認識がないかということなんです。そのときに、格納容
器のベントをするということの意味をどれだけみんなが分かっていたかというこ
となんです。そこは非常に重たい問題なんです。特にこの問題は説明が非常に私
は間違っていると思います。きちんとした説明していないと思います。
 また、安全をどう見るかですが、状況が把握できないということは非常に問題
だということ。もう一つは、安全性の哲学といいますか、安全の考え方が不在だ
というふうに思います。確実でないことを安全とは言えませんので、多分大丈夫
だとか危険な兆候がないからいいだろうとか、グレーゾーン問題と呼んでいるん
ですが、こういう問題が論理的に起こり得ることは、いつ起こるか分からないわ
けですから、そうすると、そういう理屈の上で、ある形で起こり得る事故という
のは論理的に起こり得るんですね。これは、その上に安全技術を築くのは砂上の
楼閣だというふうに思います。
 これ、グレーゾーン問題と申しますけれども、これはちょっと省略させていた
だきます。
 福島の原発事故は直接的には地震と津波でした。ですけど、それに機器のトラ
ブルとかあるいは人為的なミスが重なっているだろうと思います。そういうこと
から、最終的には事故解析やるわけですけど、基本的には自然条件の設定が間違
っていたこと。津波は例えば何メートル、間違ったとして仮に対策をこれからす
るとしても、どれだけまでやればいいかというのは非常に問題です。地震も同じ
です。
 また、たとえ津波や地震の一部対策をしても、それでこういうシビアアクシデ
ントが起こらないかというと、そんなことはないんです。落雷でも台風でも竜巻
でも、ある多重にどこかをやられてしまえば、あるいはそんな外的条件なしで、
機器が故障してそれに人為的なミスが重なるとシビアアクシデントになります。
つまり、シビアアクシデントは発生確率が小さいとして無視してきたんです、こ
れが。これが最大の問題です。これは原子力安全委員会の責任が重大だというふ
うに私は思っています。また、シビアアクシデントは原子力の特性であって不可
避であると。つまり、地震、津波はその入口であるというふうに理解しておりま
す。
 これは規制のことで細かくは省略させていただきますが、一九九二年に既に原
子力安全委員会で対策を取ることを言っていた。しかし、それは法的な規制をし
ない、民間の自主的な規制によると、こういう話でした。
 図の上でちょっと概念を申し上げますと、横に時間、縦に出力といいますか、
取りますと、通常のものは他のエネルギーシステムの場合には横にだんだん寝て
きますけれども、原子力は赤のように立ち上がってくるわけです。それを途中で
安全装置を働かせて抑え込むんです。その安全装置は何重にもなっています、確
かに、四重にも五重にも。でも、それが全部突破されると、自然と原子力は駄目
な方向に行ってしまうんですね、制御不能の状態になる。これが特性なんですね。
これが原子力の特徴だと思います。
 それを事故防止ができるかどうかということで、事故の発生防止とか事故の影
響緩和とかを考えまして、どういう対策をしてもある確率で、確率は小さいけれ
どもそういう事故が起きてしまうという場合には、それは受忍できない技術だと。
つまり、ある技術だったら全部使っていいわけじゃなくて、その技術は本当に大
事故を防げるのか。防げないとしたら、起きたときの影響はどの程度か。それが
受忍できない技術はやめるべきだと、そういう意味です。
 したがいまして、我々は最悪の事故の可能性を考慮する必要がある。今度原子
力事故を起こせば、日本は確実に壊滅すると私は思います。原子力をこれ以上進
めるというのであれば、絶対にシビアアクシデントを起こさないことを証明する
必要があります。工学的にはそのようなことは私は不可能だと考えています。つ
まり、危険な原発から段階的に止めるなりするしかない。そうしますと、完璧な
事故対策を模索するというよりも、新たな分野へのエネルギーシフトの方がはる
かに容易であろうというふうに考えます。
 膨大な原子力予算を他の技術へ向ければ解決可能ではないか。あらゆる原子力
関連の利権、そういうものを許してはいけない。そういうものからもう一度エネ
ルギー政策全体を見直して原子力から脱却していくということが現実的だろうと
思います。
 以上です。ありがとうございました。